明治40年頃の佐久山の様子
7月22日(金)
学校だよりのページに、『学校だより8・9月号』を掲載しました。
その2ページ目に、佐久山小学校が下町にあった頃のことを書きました。
明治17年 (1884年) から大正7年 (1918年) の約34年間、佐久山小学校は街道沿いの下町というところにありました。
そして、その間の明治40年当時の佐久山町の様子が分かる資料を見つけました。
学校だよりにも一部記載しましたが、詳しくはこちらです。
こちらを見ていただくと、当時の佐久山町役場、小学校などのおおよその位置が分かります。
川や道路、ふたつのお寺の位置は現在とほぼ同じようです。
ただ違うのは、街道は荒町をかぎのてに折れながら通っています。
現在は前坂を通ります。前坂の坂道は、後に作られたいわゆるバイパスなのですね。
次にこちらをぜひ見てください。
佐久山町の道沿いに、どのようなお店があったか、またはどのような家業の人の家があったかが分かります。
下駄屋さん、足袋屋さん、提灯屋さん、桶屋さん、荒物屋さん、質屋さん・・・などなど。
指物師とか、水車業とか分かりますか?
当時、小学校に通っていた子供たちは、こんな町並みを見ながら登下校していたのですね。
明治40年当時の人々の暮らしに興味がわいてきます。
そしてもっとよく見ると、今もあるお店の名前を見つけることができます。
明治40年は1907年。
今から115年前です。
ということは、この頃からあるお店は、優に創業百年を超していることになりますね。
夏休み中に、この図を持って、改めて佐久山の町を歩いてみたくなりました。